村野山人翁略年譜
村野山人小伝のダウンロードが出来ます。左のアイコンをクリックしてください。
村野須美子夫人
1848年(嘉永元年) 1歳 7月8日、鹿児島県城山岩崎谷において、父伝之丞、
母文子の3男として生まれる。幼名喜平次。
1864年(元治元年) 17歳 藩主島津忠義公に召され、近習小姓となる。
1865年(慶応元年) 18歳 西郷隆盛、大久保利通の推挙により近習番役に昇進する。
1870年(明治 3年) 23歳 学校掛り授読を命ぜられる。更に鹿児島第三学校の2等教授を命ぜられる。
1871年(明治 4年) 24歳 名を「山人」と改める。
1872年(明治 5年) 25歳 上京し、警察官となり東京府監督巡査となる。
1874年(明治 7年) 27歳 警察官を辞し、4月22日台湾征討の軍起こるや志願兵として従軍。
翌年東京に凱旋する。出征中マラリヤに罹り、後年死因となる。
1876年(明治 9年) 29歳 6月兵庫県令森岡昌純の推挙により、飾磨県(兵庫県の前身)5等警部に、
次いで9月に兵庫県13等出仕に任ぜられる。
1880年(明治13年) 33歳 3月兵庫県会開設委員を命ぜられ、開設に尽力。5月御巡幸掛を仰せつけられる。
6月神戸区長心得を命ぜられる。
1881年(明治14年) 34歳 神戸区長(今の神戸市長)兼兵庫県八部郡郡長に任ぜられる。
1882年(明治15年) 35歳 神戸商業講習所(県立神戸商業高校の前身)監督兼務を命ぜられる。
1883年(明治16年) 36歳 兵庫県令森岡昌純外十余名と共に山陽鉄道敷設の意見を発表する。
1884年(明治17年) 37歳 神戸区長に任ぜられる(太政官辞令)。従七位に叙せられる。
1885年(明治18年) 38歳 兵庫県書記官に任ぜられる。次いで正七位に叙せられる。
1886年(明治19年) 39歳 兵庫県書記官を辞し、山陽鉄道敷設発起人となり会長に就任する。
1887年(明治20年) 40歳 神戸商法会議所(神戸商工会議所の前身)を創設し、会頭に推挙される。
1888年(明治21年) 41歳 山陽鉄道会社副社長に就任する。
1892年(明治25年) 45歳 2月兵庫第1区より推され、衆議院議員に当選する。鉄道会議議員に任ぜられる。
 (明治25年5月6日開院、明治27年1月30日解散)
1894年(明治27年) 47歳 3月兵庫県第2区より推され、衆議院議員に当選する。
 (明治27年5月12日開院、明治27年6月2日解散)
豊州鉄道株式会社設立、その支配人となる。
1896年(明治29年) 49歳 阪鶴鉄道会社の創立発起人となる。
1897年(明治30年) 50歳 門司鉄道会社の創立発起人となる。
1898年(明治31年) 51歳 摂津電気鉄道会社の創立発起人となる。
1902年(明治35年) 55歳 豊川鉄道株式会社取締役に就任する。
1905年(明治38年) 58歳 南海電気鉄道会社取締役に就任する。
1906年(明治39年) 59歳 京阪電気鉄道会社取締役に就任する。
1907年(明治40年) 60歳 神戸電気鉄道株式会社(神戸市電の前身)の設立に
関わり、後に取締役会長に就任する。
神戸商工会議所特別会員に推薦される。
1909年(明治42年) 62歳 浪速軌道株式会社取締役に就任する。
1911年(明治44年) 64歳 日本赤十字兵庫県支部評議員、並びに兵庫県武徳殿評議員を嘱託される。
1912年(明治45年) 65歳 7月30日明治天皇崩御、9月13日御大葬の日乃木将軍の殉死に感激し、
忠君愛国の至誠を実行すべく、全財産の処分を生前に断行せんと決心し、
知己服部一三知事と準備に着手する。
1913年(大正 2年) 66歳 乃木将軍の殉死1周年を以て、村野徒弟学校設立と乃木神社建立を世に発表し、
同時に関係会社のすべてを辞任し、自己の全財産を提供して、財団法人を組織し
その理事となる。
1914年(大正 3年) 67歳 乃木将軍の殉死2周年に「報国真髄」を著作し、これを出版頒布する。
1916年(大正 5年) 69歳 伏見の地に乃木神社建立に着手。
2月27日地鎮祭、3月19日上棟式、9月13日正遷宮を挙行する。
1920年(大正 9年) 73歳 3月17日村野徒弟学校の建設に着手、翌年3月15日竣工する。
1921年(大正10年) 74歳 1月1日病再発し重体、1月12日特旨以て正五位に叙せられる。
1月13日に没す。